取り壊された東棟――ホワイトハウスで過ごした「呪われた夜」をめぐる記憶

Demolished East Wing – Reflections on a Haunted Night in the White House

衛星写真には、かつて私が旅慣れたカメラを手に立っていた場所――ホワイトハウスの歴史的な東棟(East Wing)――に大きな穴が口を開けています。瓦礫となったそこは、長年ファーストレディ(大統領夫人)の執務エリアであり、各種行事の拠点でもありました。その扉は、カナダ人の私を、アメリカ合衆国大統領の公邸(ホワイトハウス)で行われた私的な「お化けツアー」へと導いた入口でもあります。忘れられないハロウィンの夜を撮影するという、滅多にない機会でした。

今週、「新しいステート・ボールルーム(国賓舞踏室)建設のために東棟が解体される」というニュースを知り、私はデジタルアーカイブの埃を払い、写真家として、そして一人の人間としての最高の瞬間のひとつを改めて振り返ることにしました。

「なぜカナダ人の自分が、ホワイトハウスの私的イベントを撮影する招待を受けたのか?」――きっと皆さんはそこが気になるでしょう。

ホワイトハウスのイベントを撮影する招待状

その年の10月初旬、オバマ政権のスタッフから「You’re Invited: Haunted White House Tour(ご招待:ホワイトハウス・ホーンテッドツアー)」というシンプルな件名のメールが届きました。メールにはイベントの概要と、保安上の手続きについての説明が書かれていました。

もちろん私は最初、これを迷惑メールだと疑いました。見た目は本物らしく見えるけれど、最後にヘッダー情報を確認すれば偽物だと分かるはずだ、と。

ところが違ったのです。ヘッダーは問題なし――そして、想像もしなかった出来事が急に現実味を帯びました。

その後、いくつかのメールをやり取りし、送信元の正当性をさらに確認。持ち込める機材の範囲を調整し、身元調査にも応じ、私はセキュリティクリアランス(入構許可)を得ました。

後で知ったのですが、招待の理由は当時の私のTwitterでの活発な活動にありました。とある旅行ブランド(今は終了)の週間Twitterチャットに参加し、ときにはホストも務めていました。テーマの一つが「怪談」。そこで、ホワイトハウスのソーシャル担当スタッフが「写真家を2人探す」任務でチャットに参加しており、私の名前が推薦されたのです。

2週間後。快晴で肌寒い午後、私はパスポートを手に北東の警備ゲートへ向かっていました。まだどこかで「これはドッキリだ」と思いながら。しかし警備は私の情報を確認し、カメラバッグをX線検査し、通過を許可してくれました。

私が向かったのは、いまや「幽霊の入口」となってしまった東棟のビジターズオフィスの正面扉。ドアの前には、イベントの雰囲気に合わせた遊び心ある看板が設置されていました。

木張りのロビーに足を踏み入れると、オバマ大統領が子どもたちや“ファーストドッグ”のボーと触れ合う写真が飾られ、招待客はおよそ50名。皆、この非日常の始まりを静かに待っていました。

やがて回廊(コロネード)からは、クリスマス行事に向けて練習中の合唱団の歌声。そこへ南北戦争時代の衣装をまとったガイドが登場し、まるで別の世紀から響くような力強い声で歓迎の言葉を告げました。

霊と物語が棲む建物

ホワイトハウスの住所「ペンシルベニア・アベニュー1600番地」は、19世紀初頭の創建以来、世界で最も有名な住所のひとつです。しかし、その華やかな内装と壁に100年以上も語り継がれる怪談があることを知る人は多くありません。

かつてホワイトハウス公式ブログはこう記していました。「歴代の居住者やスタッフは、不思議な物音から幽霊の目撃まで、さまざまな現象を報告してきた。」

大統領、ファーストレディ、スタッフ、来賓、さらにはペットまで、不可思議な気配を感じたと言います――正体不明の足音、オルガンの音、壁を叩く音。中でもリンカーン大統領の幽霊は最も目撃例が多く、チャーチルやオランダのウィルヘルミナ女王が見たと語られます。ドリー・マディソンは愛したローズガーデンを守るかのように、園芸の手が入るたび現れるとされ、アビゲイル・アダムズはかつて洗濯物を干していた東の間(East Room)を、洗濯かごを抱えて漂う姿でさまよう――そんな逸話が残っています。

その夜、東棟は俳優たちによって、まさにそれらの霊が憑依したかのような空間に変わりました。

ホーンテッドツアーの開幕

「ホワイトハウスへようこそ」――ガイドはYouTubeの動画での口上に似た調子で続けます。「ここはアメリカで最も由緒ある住所――そして、おそらく最も“呪われた”場所のひとつ。」

彼は「史実と“怪奇ハイライト”を織り交ぜ、過去と現在――生者と死者――両方の“居住者”をご紹介します」と約束し、最後は芝居がかった邪悪な笑いで締めくくりました。その声は大理石の廊下に響き、観客をくすっと笑わせます。

一行がイースト・ガーデン・ルームに入ると、初代大統領ジョージ・ワシントンとマーサ夫人が来訪者を迎えていました。周囲の壁にはチェスター・A・アーサーやミラード・フィルモアの肖像画。厳かな気品と幽玄な趣が同居する歓迎です。

なお、撮影は保安上の理由で厳格なルールがありました。レンズは1本のみ、三脚・フラッシュ・動画は不可。

“生きている”幽霊博物館

部屋ごとに、異なる怪異との遭遇が待っていました。

東の間では、アビゲイル・アダムズが見えない洗濯かごを抱えて漂いながら物語を語ります。

赤の間(Red Room)では、ドリー・マディソンが1814年の火災からギルバート・ステュアートによるジョージ・ワシントン肖像画を救い出した逸話を語りました。

州晩餐室(State Dining Room)にはエイブラハム・リンカーンが現れ、南北戦争の情景を鮮やかに語って来客を150年前へと連れ戻します。演者はふと「自分がリンカーンに似ていること」や「歴史上の巨人を演じる体験」についても語り、観客との距離を一瞬で縮めました。

ツアーの締めくくりは、タイタニック号の沈没で命を落としたタフト大統領の側近、アーチボルド・バット少佐。彼は“水底から”物語を届けてくれました。

どの演目も、歴史と怪異の境界線を心地よく曖昧にしていきます。

ふだんはオフィスや家族エリアである東棟が、この夜は“生きている幽霊博物館”になっていました。

私はしばしば団体から一歩離れ、まるで自由見学に来たかのように、各部屋それぞれに異なる魅力を放つ建築を味わいました。

カナダ人である私にとっても、この歴史的建物の内部に立つと、アメリカの人々が抱く敬意と同じ感情が湧いてきます。そこには歴史、レジリエンス(しなやかな強さ)、そして無常が、手で触れられるかのように存在するのです。同時に、英国の植民地出自の祖先が1812年戦争でホワイトハウスに侵入し、火を放った史実を思い出し、どこか自嘲的な可笑しさも覚えました。

崩壊から保存へ

ホワイトハウスの歴史は、常に崩壊と再生のはざまにありました。

1940年代末には、元の構造が文字どおり崩れかけていました。トルーマン大統領が調査を命じると、築150年の邸宅は梁が割れ、床がたわみ、天井も危うい――ほぼ崩落寸前だと判明します。

1949年から1952年にかけて、内部は完全に解体され、鉄骨フレームで再建。私がInstagramで紹介した当時の国立公園局の白黒写真には、ホワイトハウスの壁が煉瓦と梁だけの殻になった、どこか“廃墟”を思わせる光景が写っています。

当時は保存の概念が十分ではなく、貴重な調度が数多く捨てられました。転機は1961年、ジャクリーン・ケネディによる修復。ホワイトハウスは歴史を語る“アメリカ史の博物館”としての面影を取り戻しました。

破壊――保存――再解釈という建築の循環は、いま東棟が最終章を迎えたことで、いっそう胸に迫ります。

ケネディ大統領といえば、私の最後の撮影は玄関ホール(Entrance Hall)。第35代大統領と、その後のクリントン、ブッシュの肖像に見守られながらのカットでした。

イベントの終わり際、私は地階の回廊(Ground Floor Corridor)でも一枚。ヒラリー・クリントンの肖像がフレームに入り、背後では警備の視線が絶えず私の動きを追っていました。

東棟からの余情

私は東棟の廊下と列柱の回廊を抜け、途中でジャクリーン・ケネディ・ガーデン(庭園)を写真に収め、そして――100年にわたり数え切れない市民を迎えてきた、あの木張りのロビーへ戻りました。

エピローグ

東棟を出るとき、私は考えていました。ここは市民と政治を結ぶ、生きた象徴だった――と。オバマ政権のホワイトハウスは、この“物語る建物”を通じて、歴史を人々に体感させる創造的な方法を提示してくれました。最も権力の象徴である場所が、同時に最も脆く、そして時に“霊”と“物語”に取り憑かれてきたことを思い出させるために。

その“つなぎ役”は、いまや無くなりました。アメリカ政治の現在を象徴するかのように――忘れない家に、新たな“幽霊”がひとつ増えたのです。